オタクが楽に生きる会話術・実践編

 昨日は来年度から入社する会社の同僚たちとの飲み会に行ってきました。
 つい先日、オタクとしての人付き合いについて書いたばかりだったので、他人と話している最中もその場から一歩引きながら自分の言動について意識してしまいました。あ、いま人の話を聞こうとしているなとか、会話が一段落したから話のきっかけにネタ振りでもしてみようかなといった感じでした。分析しながら会話をするさまは、まるで会話ロボットのようです。
 飲み会自体は、かなりの人数が集まったのですが、私が話をしていた人たちは全員が一般人のようでした。そのためオタ話は全くしなかったのですが、それはそれでなかなか楽しい集まりになりました。
 話している内容自体は、芸能人で誰が好きか、旅行は好きか、どんな音楽が好きか、結婚はしたいか、子供が欲しいか、それは男か女か、みたいなどうでもいい話題ではあるのですが、バカ話を挟みながらみんなで盛り上がれば、楽しいものです。話自体には興味が無くても、相手はこれからも付き合いがある人なので、人物自体には関心があります。

 そんな風にいろいろと考えながら今回の飲み会に出てみて、相手がオタクだからとか一般人だからとか言ってきっぱり分けて考える必要は、あまり無いのかなという印象も受けました。確かに両者の間には、大げさに言えば、埋めようの無い溝のようなモノがあると思います。オタクがしたい話は一般人には受け入れられないでしょうし、一般人の話はオタクにしてみれば面白くないことが多いかもしれません。だからと言って、相手を切り捨てて機械的に考える必要は無く、それも楽しめた方がいいものだとは思います。話題が違っても会話の流れとして共通する部分は沢山あります。

 前回は、ある意味でマイノリティであるオタクが、生き辛い世の中を生き抜くための処世術のような感じで書きました。そのため、一般人との付き合いも、出来た方が『便利』という表現を用いたのですが、これは出来た方が『楽しくて得である』と言った方が良かったかもしれません。オタク仲間との会話を避難場所か安全地帯のように考えて、その外の戦場では仮面をつけて苦痛を乗り切るというよりも、仮面を付けつつもそれが出来るだけ苦痛にならないようにする処理方法を考えた方がもっと楽であるということです。それが簡単に出来るようになるかは、別問題ですけれど。
 そういえば、飲み会が終わったあとで女性の同僚から自分のやっているブログのアドレスを聞いたのですが、私のは教えられませんでした。絵文字を多用して旅行に言った話などの日常を記している彼女のブログに比べて、私のブログは、大部分を占めるマンガの感想と、オタクだ一般人だとか言いながら度量の狭いことをぐちぐち書き連ねているだけですからね。私自身はそれが楽しくてやっているのでいいのですが、どう考えても引かれることは確実です。隠すところは隠す、これも重要なことかもしれません。全部をさらけ出すのは得策ではありません。そんなわけで、当分の間は仮面を付けて暮らさなくてはいけないようです。

 でも、今回話をした限りは、みんなオタク以外の一般人でも付き合いやすい人ばかりだったので、とりあえず入社後の同僚たちとの人間関係はそれほど心配はなさそうです。あとはオタ話ができる人がいればいいんですけどね。