いいかどうかは自分で決める

 最近、文章を読んでいて自分の立ち位置を意識することがよくあります。それは出版物に限らず、ネット上の文章を読んでいるときも同様です。自分とは異なる意見を見つけたときには、それに対する自分の立場を決定して、自分と同じような意見を見つけたときは、それを補強剤として自分の立場を固めるといった具合です。
 また文章を書くということも自分の立ち位置を決める行為です。雑記や感想を書くのは、自分の考えを言語化することにより明確にして、自分の立ち位置を決めているわけです。
 異なる意見の存在を意識したり、一人では考え付かなかった意見を吸収して、自分というものを正確に把握することは、これから自分が進む方向を決定したり、自分とは別の存在である他人と関わり繋がるときに活きてくることです。
 正論などという、建て前や一般論を骨子にしても仕方がありません。正論なんてものは、多くの人が流されやすいというだけの一つの意見でしかありません。こんなものを根拠に、物事に対して脊髄反射で表面的な反応をする人間はつまらないし虚しく感じます。すべての意見に対して、自分というフィルタを通してから判断することが大切なのです。そのフィルタを構築することもまた日々の積み重ねになるわけです。