本音と建て前の使い分けることが処世術なのか?

クラスメイトが死んだんだが 』(Vipoir

 本文とコメント欄を読んでいて、自分とは異なった価値観の人間の存在を改めて認識させられました。死というインパクトのある出来事だからこそ、その相違が明確に現れているのだと思います。あと舞台が2chという背景も関係しているかもしれません。素直な意見に触れることが出来ました。
 私の場合、儀式的なものにほとんど共感を覚えないのでかなりドライな視点から見ていると思います。人間性や倫理観を説かれるよりも、どうした方が最終的に良い結果になるのかというような損得勘定を基準にした方が、しっくりきます。ただしその時の感情は、亡くなった対象がどれぐらい身近な人間かどうか、天寿を全うして亡くなったのかどうかなどの条件によっても異なるとは思いますが、今までにそのような経験をしたことがないので、何とも言えません。
 結局、本音と建て前の問題でしかないと思いました。日常の人間関係とは無関係の匿名の場だからこそ晒している本音を非難しても仕方がない気もします。
 私の基本的な考え方は、建て前としてでも相手を傷つけたり不愉快にさせたりしない行動を選択できる能力があればそれでいいというものです。だからこそ、まず価値観の異なった相手の存在を認めることが大切なのだと考えています。別に理解する必要はないのです。ただそのような考え方の人がいる事を認めればいいだけなのですから。