コスプレを見る視線の方向性

 昨日触れたメイド喫茶も基本コンセプトはコスプレですよね。でもメイド喫茶は、特定のマンガやアニメ、ゲーム等のキャラクターではなく漠然とメイドのコスプレということで、感覚的には制服マニア的なコスプレであると思います。特定のモデルの格好ではなく、セーラー服、体操着、ブルマ、スクール水着、OL、女教師、女医、というAVのジャンルと同じように服装を変えることにより記号的に別のキャラクターになるということです。個人的には、特定のキャラクターのコスプレより、単に服を着替えているだけという感覚は分かりやすい感覚です。
 このことに関係して以前から疑問だったのですが、コミケ等で行われている特定のキャラクターのコスプレを見る側というのは、どのようなスタンスで見ているのでいるのでしょうか。コスプレをやる側の気持ちというのは、なんとなく分かるというか、自分にはない欲求だということで自分の中で整理が出来ているのですが、見る側の気持ちは上手く分析できていません。
 2次元のキャラクターを3次元の人間が演じているのを、見ている側は2次元方向から見ているのか、それとも、3次元方向から見ているのでしょうか。つまり、2次元である元ネタのキャラクターを仮想世界から現実世界へ再現するために人間の手を借りているという感覚なのか、3次元の人間が単にいつもとは違う格好をしているだけという上記の制服プレイ的な感覚なのかということです。私の感覚では、3次元を基盤にして人間が2次元のキャラクターを演じているという方が理解しやすいです。
 こういう話の説明として、2次元は2次元、3次元は3次元という別物であるという捉え方があります。しかし、私にはこの論理がどうもしっくりきません。犯罪の原因に関する話で、架空の世界である2次元メディアが現実世界である3次元世界の犯罪に与える影響を考える際になどでも、その因果関係を否定するための説明としてこのような説明をしているのを見たことがありますが、私には両者が完全に無関係とは思えないのです。因果関係はともかくとして、現実と仮想の趣味や趣向は共通しているというのが私の感覚です。でも完全な2次元コンプレックスやその傾向が強かったりすると、また違う感覚なのかも知れませんね。
 話が逸れてしまったので、コスプレの話に戻します。私の感覚は3次元側からの視点であり、コスプレは、単にコスプレをしている人間の服や髪型などがマンガやアニメ、ゲームと共通しているだけだと思っています。そのため、「げんしけん」の作中で言われていたような、コスプレをするためには元ネタであるキャラクターの内面うんぬんというのは、演じるという事を考えた心の問題なのだろうとは思いますが、正直なところよく分かりません。よってコスプレというものには、元ネタの選択以上に基盤となる人間の容姿にポイントがあり、元ネタである2次元のキャラクターは関係なくオマケ的な存在だと感じます。
 もしかしたら2次元に基盤を求める熱狂的なファンにとっては、モデルの容姿を問わず3次元への変換行為自体が許せないというタイプもいるのかもしれませんが、残念ながら私の周りにはサンプル例として話を聞ける知り合いがいないです。これも気になるところです。