本を読む人、読まない人

読書週間 “本離れ”傾向変わらず…本社世論調査
 読売新聞の記事です。記事の内容自体は、今更な感じが満載です。本なんて興味が無ければ読む必要は無いでしょう。活字離れ、活字離れと騒ぐお決まりの論調には飽き飽きです。情報の摂取方法はテレビでも映画でもマンガでもなんでもいいと思います。情報を摂取してどんな感情でも刺激になれば意味があります。
 この記事の中で、本が多くてどれを読めばいいのか選べないという話が載っていますが、同じような話を先日、研究室の友達から聞きました。その友達も本を読む習慣がない人なのですが、私が本を読んでいるのを見て、記事と同様の質問である、読む本を決められないという話をしていました。私は、新聞の書評でも売上げランキングでも書店でのジャケ買いでもなんでもいいのではないかと答えましたが、今まで私には思いつかなかった悩みなので新鮮でした。本の選び方なんて、とりあえず読んでみるしかないのでしょう。
 その場には私以外に3人いたのですが、その3人が全員、『宮部みゆき』を知らないと聞きました。宮部みゆき自体は話の流れでたまたま出てきた名前だったのですが、流石に3人が3人とも名前すら聞いたことが無いとは思いませんでした。別に、知っていなければいけないとか、恥ずかしいとかいうような知識ではないというのは当然ですが、あまりにも自分の認識とは離れていたので単純に驚きました。まったく、本に興味が無い層というのはここまで認識に差があるのですね。
 また、この記事中でいわゆる活字離れという現象に対して学校が何かしらの対策をするべきだというように求める意見もありました。朝の読書の時間とかって、私が小学校だか中学校の時にもありましたが、効果はあるのでしょうか。本って、基本的には10分、15分という細切れの時間を強制されて読むものではないと思います。全員が面白く感じる必要はないでしょう。
 活字離れという現象が本当に進んでいるのだとしたら、家庭の問題にはしたくないですが、基本的には幼い頃に本に馴染みがあったかどうかがポイントだと思います。私が多少ながらも本を読む習慣があるというのは、親がよく本を読んでいたということが一番大きい理由だと思います。もし両親がともに全く本を読まないという環境だったなら、子供は本を読む習慣が生まれづらいでしょう。おそらく統計を取ったら親の影響は関係していると思います。ただし、あくまで影響があるという程度です。絶対ということにはなりません。
 まあ長くなりましたが、結論は、活字離れなんて騒ぐことではない、本は読みたい人間だけが読めばいい、という当たり前の話でした。でも、私としては本を読む習慣が無い人とは、なかなか話が合いませんね。これは単に趣味の不一致ということですが、他人と打ち解けられるかどうかのかなり重要なポイントです。