「嫌オタク流」 中原昌也・高橋ヨシキ・海猫沢めろん・更科修一郎

 非オタクの中原昌也氏と高橋ヨシキ氏が、第1部では海猫沢めろん氏と第2部では更科修一郎氏というオタク代表と対談する内容です。
 端的にいうとネタ本です。発売前に言われていたサブカルVSオタクという対立構造ですらありませんでした。オタクがバカにされていると、青筋立てて反論する類の本ではありません。
 でも読みやすいしネタとしても面白いので、ネット上ではある程度それも短い期間で話題になるのではないでしょうか。私も読んでいて、感じたことはいくらでも書けますが、細かい突っ込みやオタク論としての真剣な反論は無粋な気もします。まあ個人的には、中原氏のジョークを含めこれぐらいの内容は、許容できる人のほうがいいですね。ならないとは思いますが、過剰反応は勘弁して欲しいです。ネタにマジレス格好悪い。
 やっぱりこのタイミングで出るのがポイントですね。「嫌オタク流」と言いつつも読者は、オタクを嫌っている側ではなく、当のオタク本人でしょう。まあ、それほどの内容ではないのであえて他人に勧める気にはなりませんが、興味があるオタクは読んでみるといいかもしれません。

以下、詳しい感想というか、無粋な突っ込みです。

第1部の構造

 本のスタンスとしては、非オタクの2人がオタクを肴に適当なバカ話をしているだけで、オタク側が真面目に構造を説明しても無意味です。中原氏は終始あくまで真面目になるつもりはないし、高橋氏の抱いているオタク像が大部分において的外れです。
 しかも海猫沢氏は真面目になればなるほど、話が空回りをしていて読んでいて辛いぐらいです。オタク同士では成立する会話や論理が、非オタクが加わると途端に成立しなくなくなるということがよくわかりました。オタクの読者が真面目な読み方をしてしまうと、腹立たしくもなるでしょう。
 中原氏の茶々も上手くはまると楽しいんだけど、うざったい時も多いです。読者の大部分であろうオタクは、まともな論議を望んでいると思うのだが、どうなんだろう。結局、この本を読んでオタク側がカタルシスを得たければ、オタクを批判している2人を論破すればいいのかもしれませんが、やっぱりそういう本ではないと思います。

オタクとDQNの対立

 第1部の致命的な誤りが、オタク以外はDQNという二元論です。流石にこれは成立しません。まだオタク以外は一般人という二元論の方がまかり通っています。でも、以前から思っていたことですが、オタクとDQNって特別な対立関係でもあるとは思います。実はオタクに限ったことではないのでしょうが、DQNというカテゴリで子供につけた変わった名前とか成人式での格好や行動をネット上でネタとして取り上げ、ここぞとばかりに寄ってたかって嘲笑している姿は本当にみっともないです。

オタクの地位は向上したか?

 真面目に言うと、オタクをひとくくりにすることに一番無理があるのだと思います。バカなオタクもいるけれど、それはオタクだからという訳ではありません。オタク以外にも当然バカな人間はいる訳です。 ここで痛いオタクとして指摘されている『オタクがマスコミで取り上げられているから、オタクは認められて市民権が与えられた。オタクは凄いんだ』みたいな考えの人間は、オタクの中でも少数派でしょう。とても多数派とは思えません。
 私の印象だと、オタクが外に向かって自己の純粋さや正当性を主張することはほとんどないと思います。なぜなら、オタクであることというか自分が好きなことには誇りがあっても、それを主張する必要性やメリットがないからです。

 でも、確かに自分をオタクと認めやすい環境になったとは思います。これは、世間の認知度が高まったことにであり、ある意味では市民権を得たとも言えるかもしれません。オタクという言葉が広がったことで、それに属していると感じる人も増えたという感じです。多少は、肩身が狭くなくなって陣地が広がった気もしますが、相変わらず一般人とのバリアはあるし、それがなくなる必要もないと思います。少なくても、地位が向上したなんていう実感はまるでないです。まあ趣味を制限されるような実害がなければ、地位なんてどうでもいいですけど、向上して損はないでしょうから、もし向上するなら歓迎したいです。

オタクは個人主義ではない

 『オタクは個人主義ではない』(P.46)というのは、私も感じることです。確かにオタク単位で考えることが多く、共通の趣味趣向を持った仲間を探して群れたがる傾向はあるでしょう。でも、個人主義な面もありますし、集団であるオタクの中でも階層意識や対立関係があり、さらに同族嫌悪まであるのだからオタクというのは複雑なものです。

ネタとして楽しむべき

 第1部も後半になるとそれぞれの役割がうまくハマった感じで面白いです。読んでいても序盤のイラつきはないですし、これはこれでありという気がしてきます。やっぱり、オタク側が受身ではダメですね。所詮は真面目な対立というよりはネタなのだから、向こうが批判してくるなら、反論したり批判し返した方が面白い掛け合いになるわけです。でもブラックジョークを受け付けない人間はつらいでしょうが、これはオタクとは関係ない話です。

 個人的には、この本で批判というか取り上げられているオタクは、自分のオタクとしての趣向や考え方が違うので、かなり客観的に読んでいて自分とは別の人たちの感じが強いです。でも、オタクという言葉は、定義があいまいで対象も多種多様なので、オタクという言葉で批判されると実はターゲットが違っていてもそれが自分の事かもしれないと思うわけです。この本を読んでも、自分はこんなタイプじゃないと言いたい人も多いと思います。そういえば、オタクとしての対象は基本的に男オタクのみで、女オタクへの言及は殆どないですね。

第2部の構造

 序盤、中原氏が遅刻。彼がいないとスムーズに話が進みます。しかも飽きてきたのか後半の方でもオタクに関する発言の回数が少なくなっていました。

 やっぱりこの本はオタク論ではないと思います。オタクといいつつもその対象がいまいち分かりません。確かに自己の純粋さを主張するタイプのオタクはいるし、そういうタイプは私も苦手です。私はエロゲを全くやらないので、エロゲと性欲が関係あるのかという話は分かりません。エロゲオタクの話題は、部外者が余計な事を言うと厄介なことに巻き込まれるのでアンタッチャブルな感じが強いです。高橋氏の第1部のまとめであるところの『「萌え」云々はオナニーがらみ』というのは、確かに乱暴だし無茶苦茶だから、"純粋"なオタクは凄い勢いで反発するかもしれませんね。私には関係ないですけど。

更科修一郎氏への違和感

 第1部の海猫沢めろん氏は、明確にオタク擁護派を宣言したり、オタクの分析にも頷ける部分が多くて好印象を抱いたのですが、第2部の更科修一郎氏のオタク分析には違和感を感じる箇所が多かったです。

オタクを自認している人で一番多いのは、高卒もしくは専門学校卒で現在はニートな20代か、TRPGや少女マンガにハマって受験戦争からドロップアウトした経験のある30代のSEかプログラマー。(P.153)

なんていうのも、ニートなんて絶対数が少ないし、職種を限定する必要もないと思います。私の感覚だと、普通に社会人か学生をやりつつオタク的な趣味を持っている人間が多いのではないでしょうか。しかも、

オタクってなぜかは酒は弱いんですよね。(P.154)

みたいな根拠のない無責任な事を他の2人合わせて言っているので話が軽くなっています。興味深い考察もあるのですが、なんでも相談室のごとくオタクの生態について断言されると、それは違うだろうという気になってしまうわけです。まあ、基本的には、バカ話をしているだけなのでそれでもいいのでしょうね。

結論

 結論としては、オタクをネタにして遊んでいるだけなので、もし批判されたと思ってもマジに反応しないでほしいです。私は、中原氏もバカヨシキ所長もけっこう好きなので面白かったですけど、あえて他人に勧める気にはなれませんね。オタクに関するネタを考えるきっかけとしてはよかったと思います。